新宮山彦ぐるーぷ NO.1639

」山行報告
山 名 荒谷山(三等三角点 おこたに於古谷) 標高1267.20m 上北山村小橡
実施日 2012年7月24日(火) 晴時々曇  最高最低気温22℃ 28℃ 湿度62% 80%
参加者 川島 功 沖崎吉信 前田 正 樋口義也 鈴木史朗(新宮組)佐々岡勝治 今泉 勲(奈良組)乾 克巳 計男子8名
コース 上北山村道の駅8:30〜サンギリ林道登山口9:20=9:30〜P1038鞍部10:10=10:20〜山頂手前ピーク(昼食)12:00〜12:40〜
     荒谷山山頂13:00=13:30〜P1038鞍部15:40=15:50登山口着16:35

今年の5月27日に山彦の山行で、台高のコブシ嶺からの眺めが素晴らしく、いずれは登りたいと思ったのがきっかけでした。7月9−10日の行仙小屋で薪小屋を改築したおりのメンバーで話し合い、是非行こうと言うことになった。当初は佐藤優美子さんを含めて5名での実施であったが、佐藤さんは前日の夜になってからメールが来て、東京の孫が熱を出したので来て欲しいとのことで不参加になった。新宮から2名、奈良から2名の増員があり、男ばかりの8名での実施となった。

 サンギリ林道の河合からの林道は、昨年9月の豪雨以来、大台ヶ原へ続く林道大和田線、小処線とともに不通のままである。とにかく落石、崩落の多い林道なので二日前に林道の情況と取り付き口の確認のために下見をした。丁度、荒谷山を源流とする奥西ノ谷は、私の渓流釣りの釣り場なので、のんびりと釣りでもしながらと思っていたら、佐藤さんからメールが来て「一緒に連れて行け」と言うことになり、通り雨に打たれながら下見をした。楽しみにしておられたから、さぞ残念なことと思う。

 8時半集合の10分前に上北の道の駅に到着したら、すでに新宮組は到着していた。新しいメンバーが参加しているので、簡単な紹介をしてすぐに出発した。小橡から橡谷川に沿ってサンギリ林道は延びている。至る所で落石があり、パンクを避けるのに気を遣う。又剣山への直登登山口の近くに展望台があり、奥駈けの山々が大スケールで見通せる場所があり、大普賢岳から笠捨山の果てまで良く見えた。
一時間近く掛かり登山口に到着。

 誰が立てたのか取り付き口に荒谷山への看板がある。かっては北山宮から宮ノ平に続く逓信道があり、小橡から荒谷峠を越えて郵便が行き来していた。

擁壁の斜面に沿って、篠竹を掻き分けて登ると13分程で今日一番目の小ピークに着く。南東方向に下る道があり、登り返すと15分ほどでピークに着く。篠が全面に生えていて行く手を遮る。さらに15分ほど下るとP1038の鞍部に到着した。

朝から無風状態なので、鞍部での風を期待していたが、ここも無風であり蒸し暑い。気温を見ると24℃と以外に高くない。しかし、アップダウンが激しいので体温が上がっていて体感温度はかなり高い。熱中症対策は各自で工夫して来ているが、携行の水の量が左右する。過去に痛い目を受けているので、夏の激しい山歩きは3リッターを持参するようになった。スポーツドリンクの2リッターボトル一本と500のボトル一本。それに食事にお茶を500計3リッターである。これに真水を500持てば完璧。今日は水は省いて首に保水の首巻きと水に濡らしたスポーツタオルを首に巻き、ザックには凍らしたタオルを一本入れて来た。

山頂までには五つのピークを越えねばならない。山頂は六つ目のピークである。

P1038の鞍部を過ぎると篠の量も増し、背丈を超えて密集している。3番目から5番目のピークの間は激しい篠竹で被われており、前を行く者の姿を見失うこと度々。上から眺めていると篠が動いているだけで姿が見えない。おまけに角度が急な斜面で45度を超えていると思われる。篠にしがみつきながらの登下行なので安全ではある。先行者に近づきすぎると篠の跳ね返りがあり危険。目を突きそうになり慎重に歩く。余りの篠の量で記録用の写真も撮る余裕が無くメモもない。写真を撮っても篠ばかりで絵にもならないだろう。四つ目のピークへの登りが広尾根になっており、獣道がいくつも錯綜しておりルートの確保が難しい。先行は常に前田さんか川島さん、それに樋口さん鈴木さんと続く。我々奈良組は常に後尾だ。沖崎さんが気遣って常にエスコートして下さっていた。

四番目のピークの樹間から視界が広がり、春に行った尾鷲道の尾根が目の前にある。コブシ嶺も見える。大蛇ーも見える。ひとときの休息を終えるとまた藪こぎが始まる。

岩稜帯が現れるが、小さな岩稜でザイルの必要はない。
12時に山頂手前のピークに到着。山頂は目の前に聳えているが腹が減って体が重い。ここで昼食を摂ることにした。小さな岩稜ピークに猿山のサルのようにひとかたまりになり食事をした。体の向きを変えるのにも注意が必要だった。切り立ったピークから滑落したらおおごとになる。沖崎さんが大きな声を出した。滑落かと思ったらザックが転げだしたのだ。運良くすぐに木の根元に引っかかり止まった。下まで転げたら回収は諦めなければならなかった。とにかく良かった。

40分ほど食事休憩を取り、山頂を目指した。こんどはお腹が一杯になり体が重い。慎重に岩場を下る。20分で荒谷山山頂に到着。山頂は篠のブッシュも下草も無く静かな佇まいとなっていた。

山頂からの見通しは無く、シャクナゲなどの雑木の中にひっそりと三角点があった。山頂には紀州わらじの会と山想遊行の名板があった。特筆すべきなのは34年前の玉岡さん達が登った山名板が残っていた。名板には「78.10.21-22玉岡憲明、東真澄、信谷正治、末端尾根より 新宮山彦ぐるーぷ」と書かれていた。今日のコースとは比較にならない岩稜が連なる尾根が続く。さすがは玉岡親分、今は年を食って厳しい山は遠慮されているが、若いときは流石と頭が下がった。

沖崎さんが真新しい山名板をザックから取り出し皆で設置した。今日の山行は山彦の公式山行だから乾お前が山行レポートを書けと川島さんが言い出した。とんでもない。今日は仲間内だけの山行だからメモもとらずに気楽に登ってきた。書くものも無いと言ったら樋口さんが鉛筆を進呈すると言って渡された。しゃーないな! 書くかと思っていたら、遠くから前田さんの声が聞こえる。「お〜い、見通せるぞ〜」と。皆で声の方にいくと、切り立ったーの上に出た。そこからは眼下に満々と水を湛えた坂本ダムと大蛇ーに繋がる東の川の水系。後ろには尾鷲道の尾根が水墨画の様な淡い色合いをなし迫っていた。木組峠に至る尾根も鳥のように俯瞰することができた。狭い岩場から眺めながら、ここまで来た甲斐があったと清々しい気持ちになった。皆の顔も明るくなった。

名残惜しいが30分ほど滞在して、13時30分に山頂を後にした。

  山頂で今西流万歳をするメンバー
  山頂で玉岡さんの山名板を戴く新名板

帰りのルート確保のために、沖崎さんと二人でピンクテープを付けながら登ってきたが、先頭グルー
プががむしゃらに進むので、完全にテープは無視され、とんでもないコースとなる。地図を確認すると直線で500m程の道のりを一時間ほど掛かっている。背丈を超す篠竹は密度を増し、篠を掻き分けて進むと体全体を篠に絡まれて前に進むどころか、上げた足が宙に浮いたままで下ろすことも出来ないこと

  山頂のーから東の川を俯瞰

もあった。帽子が飛ばされる。タオルやハンカチも飛ばされる。ザックは引っかかる。篠が目に入る。喘いでいると口の中に虫が飛び込む。
やっとの思いで第四のピークまでたどり着くと今泉さんが遅れてる。戻ると足が攣って痛くて歩けない。痛そうである。沖崎さんも戻ってきて荷物を分散して持つことにした。私は常に持ち歩く特効薬「つむらの68番」を飲んで貰った。特効薬だから効き目は早い。10分ほどで空身ではあるが支障なく歩くことができた。佐々やんがずっと心配そうに付き添っている。なかなか良いとこがある。

この特効薬は佐藤優美子さんから教わったもので医師の処方が無いと買えない。ついでの時に医者に「山でよく足がつるのでつむらの68番を出して下さい」と言うと手に入る。事前に飲むと予防することが出来るが、飲み過ぎは危険らしい。これまでにも多くの人に喜ばれた。山彦は全員が持っていると良いですね。P1038の鞍部に15時40分着。ここまで来ると今泉さんもすっかり元気になり、しきりに皆に荷物を持って貰っているのを恐縮している。下見の時に出たマムシもヤマカガシもまたヒルもダニも出ること無く16時35分に登山口に到着した。

地形図で見ると直線距離で片道約1.8q、往復でも3.6qである。私の歩数計では家を出てからの歩数が10.232歩と出ていた。距離数で6.9qだ。平地であれば一時間の距離であるが、行動時間は8時間となった。いかに激しい山歩きであったかが分かる。

帰り際に車から確認した六つのピークは、直立不動に聳えているように見えた。

  無事に下山が何よりです。 報告文 乾 克巳