浦向道陥没場所橋の設置
2013/04/08
10人
浦向道は国道425号が無い頃十津川と下北山村の生活道として重要な道だった。
今は十津川村浦向から行仙岳や笠捨山への登山道として利用されている
特に大峰奥駈道縦走者や行者の途中下山道として重要な下山ルートだ
その浦向道も、1000年の長きに渡り使用されてきたが、とうとう尾根部分で陥没が起きチムニー上部がギャップとなり崩壊寸前だったが、かろうじて木の根が人の通行を支えていた危険な状態だった。
今年の1月に簡易に丸太橋を渡したが、雪もなくなり本格的に橋を架け通行可能にした
木製の橋ですから何時かは掛け替えが必要だろうが、とりあえず5年をめどに間伐材で作業をした
10人が乗っても耐える橋だが、通行は十分に注意して渡ってください
作業の様子を少し記してみたい
間伐材は途中の植林から頂いたが、間伐後3〜4年経過している。倒れて地面に着かないで浮き上がった直径25cm程度の丸太を使用したが、この間伐材を斜面から人力で引き上げるのに一苦労だと思ったが
長さ7m50cm、いろんな職種の新宮山彦ぐるーぷのメンバーは経験豊富で案外スムーズだった。
植林地から陥没場所まで300m程度か、この間をコロを使ったり、浮き上がらせたりと10人がかりで引きずって3回、これだけで大汗を流す。この作業の写真がないのが残念だが、丁度ピラミットの石を運ぶようだと、かけ声を合わせて力を合わす
 
前回の仮橋と作業の様子
先ず三本を一番基礎が丈夫そうな所に掛け渡す。
木の根の下は完全に浮き左右がチムニーでロープ無しでは下に降りられない
 
次に両端に枕を噛まし、丸太を浮かし丸太の腐りを軽減する
 
これで橋の形が出来るが、マダマダ不安定だ
 
形が出来た所で一休みだが、此処まで休憩はない。
前代表の玉岡憲明氏は人使いが荒い玉岡と自称していたが、新代表の川島功氏もその伝統を受け継いでいる。笑い

昼食は賑やかだがいつも地域の名産物の差し入れがある。
午後は横木を丸太に打ち付ける。
この材は思ったより沢山いったがこんな強力がこれに応えた。(^_^)v
 
タダ山中で木を割る作業は大変だ、登山靴でも滑らないように割り面を上にする。作業は倍の時間が係るが安全を優先した。
 
 
オーイ材が足りないよ、取ってきますと女強力、なんて言いながら橋が完成した
 
新旧代表の二人
R425は規制がかかって通行時間が決められているが、わずかな時間を利用して赤い階段に下る山彦補給路と、浦向道分岐付近の崩壊場所と、補給路の一部を整備して下山に付いた
 

 
通行規制時間にうまく合わせられず、時間待ちだがそんな時間は楽しいティタイム、工事の完成を喜びながら呑むコーヒーは格別に美味しい。

冬が終わると霜柱が道の材を浮かしルートを痛める。毎年毎年繰り返す作業だが、その伝統を引き継ぐ新代表は山彦メンバーをリードして行く